「もっと自分を好きになろう」
「自己肯定感を高めれば人生はうまくいく」
こうした言葉を、私たちは何度も耳にしてきました。書店には自己肯定感をテーマにした本が並び、SNSでも「自分を大切に」というメッセージが溢れています。にもかかわらず、自己肯定感を上げようと努力するほど、なぜか苦しくなる人が少なくありません。
それはなぜなのでしょうか。
自己肯定感を上げようとするほど苦しくなる
「高い自己肯定感」という理想像
まず、自己肯定感を上げようとする時点で、私たちはすでに“理想の状態”を設定しています。
・いつも前向きで
・失敗しても落ち込まず
・自分に自信があり
・他人と比較しない
しかし、そんな状態は本当に現実的でしょうか。
人間は揺れる存在です。気分も評価も状況によって変わります。
それなのに、「常に自己肯定感が高い自分」を目指してしまうと、少しでも落ち込んだ瞬間に「やっぱり自分はダメだ」と二重に傷つくことになります。
本来は自然な感情の揺れなのに、それを“未熟さ”として処理してしまうのです。
自己肯定感を「成果」にしてしまう罠
もう一つの問題は、自己肯定感を“達成目標”にしてしまうことです。
・今日はポジティブに考えられたか
・自分を否定しなかったか
・他人と比較しなかったか
まるでチェックリストのように、自分の内面を評価し始める。すると、自己肯定感を高めるはずの行為が、逆に“自己監視”になります。
自己否定をやめようとして、「また否定してしまった」と自分を責める。
これは本末転倒です。
比較をやめようとするほど比較する
「他人と比べなくていい」と言われるほど、なぜか比べてしまう。それは当然のことです。人間は社会的な存在で、比較は本能的な機能でもあります。
比較そのものが悪いのではありません。
問題なのは、比較した自分を否定することです。
比較してしまう自分を「未熟」と切り捨てるほど、自己肯定感は下がります。
つまり、自己肯定感を守ろうとする行為が、逆に削っているのです。
「自分を好きになる」は難易度が高い
よくあるアドバイスに「まずは自分を好きになろう」というものがあります。しかし、正直に言えば、それはとてもハードルが高い。
自分の欠点も、弱さも、過去の失敗も知っているのが自分です。
そのすべてを丸ごと好きになるのは簡単ではありません。
むしろ、「好きにならなければならない」という義務感が、新たなプレッシャーになります。
自分を好きになれないことを、また自分の欠陥だと感じてしまう。
これでは、どこまでいっても安心できません。
必要なのは「肯定」ではなく「許容」
もしかすると、必要なのは自己“肯定”ではなく、自己“許容”なのかもしれません。
肯定とは、「素晴らしい」「価値がある」と評価すること。許容とは、「そういう自分もいる」と認めること。
落ち込む自分もいる。
嫉妬する自分もいる。
逃げたくなる自分もいる。
それを無理にポジティブに変換しなくてもいい。ただ、「そう感じているんだな」と一歩引いて見る。
評価を足すのではなく、評価を減らす。
これだけで、内面の圧力はかなり軽くなります。
自己肯定感は「上げるもの」ではない
自己肯定感は、筋トレのように鍛えて上げる数値ではありません。
安心できる関係や、納得できる行動、積み重ねた経験の中で、結果的に育つものです。
無理に上げようとするほど、「今の自分は足りない」という前提を強化してしまう。
それが苦しさの正体です。
今の自分を改善対象にするのではなく、観察対象にする。
コントロールしようとするのではなく、理解しようとする。
そうやって距離を取れたとき、自己肯定感は“上がる”のではなく、“落ち着く”のかもしれません。
まとめ
自己肯定感を上げようと努力すること自体が、「今の自分では不十分だ」というメッセージを内側に送り続けてしまう。
その構造に気づかないまま頑張ると、どんどん苦しくなります。
必要なのは、無理に好きになることでも、常に前向きでいることでもありません。
揺れる自分をそのまま認めること。
自己肯定感は追いかけるほど逃げるもの。けれど、追いかけるのをやめたとき、静かに隣に戻ってくるものなのかもしれません。