【多くの人の心を身体を楽にして笑顔にする】がテーマ 第10回-1

株式会社楽笑 代表取締役 泉池 直利 様

1978年生まれ、大阪府出身。専門学校卒業後、3年間ほど建築関係の会社に就職し営業業務に従事。

退職後夢であった柔道整復師になるため、地元大阪にある医療専門学校に入学し勉学に励む傍ら整骨院で施術補助業務を担当し修業を積む。

その後独立し、あかり整骨院を開院。わずか数年で軌道に乗せ、順調に店舗拡大し2012年に株式会社楽笑を設立する。

また医療に特化した人材紹介会社株式会社Zero-1をはじめその他事業展開もしており多方面で活躍中。

株式会社 楽笑 | 楽笑メディカルグループ公式サイト (rakushow.co.jp)

株式会社ZERO-1 | 関西の医療・介護の求人・転職のことなら 株式会社ZERO-1 (zero-1-human-innovation.jp)

 

泉池さん、どうぞよろしくお願いいたします。泉池さんは複数の会社を経営していると伺っておりますが、本日は起業にまつわる話や会社経営の話など様々なお話を聞かせて頂ければ思います!

こちらこそ本日はありがとうございます。

株式会社楽笑の代表を務めております、泉池と申します。本日はどうぞよろしくお願いします。

 

早速色々と伺っていきたいのですが、まず大変失礼なのですが、泉池さんの会社の名前ですが、楽笑(らくしょう)で合っていますでしょうか?(笑)

はい その通りです! 少し読み方に困りますよね。(笑)

割と簡単な漢字ではあるのですが、珍しい会社名だから迷われるのかもしれません。

 

申し訳ありません。(笑)なぜそのような社名にしたのでしょうか。

弊社は整骨院の展開をしているのですが、会社のテーマが「多くの人の心と身体を楽にして笑顔にする」でして、楽と笑を取って楽笑という社名にしました。

 

ものすごく素敵な由来ですね!いつから整骨院の運営をしていらっしゃるのでしょうか?

そうですね 株式会社を設立したのは2012年ですが、2008年から個人事業主として整骨院を経営していました。

なんだかんだもう約15年経ちますね。

 

もう長く経営されているのですね 何がきっかけで整骨院の経営を目指されていたのですか?

これは話すと長くなるのですが、私は元々学生時代にサッカーをしていたのですが、やはりサッカーをしているとどうしても怪我をしてしまうときもありまして、よく整骨院に通っていたんです。

 

その時からそういう怪我から復帰するサポートする仕事に対して憧れがあったのはあったんですが、当時、私は施術してくれる方をお医者さんだと勘違いしていてどうせなれるはずないと思い込んでいたんです。

 

ということは最初から整骨院の仕事をしていたわけではなかったということですか?

実はそうなんです。社会に出て最初の3年は建築関係の会社で営業をしていました。

 

3年ほどたった時、たまたま学生時代の友人と食事をしていまして、その彼が柔道整復師の資格取得が可能な専門学校に通っているという話や整骨院の話を聞いて、興味を持ちまた昔憧れていた気持ちが再燃焼しました。

 

そしてその後会社を辞め、地元大阪の専門学校に入学し柔道整復師の資格取得にむけて勉学に励みました。

 

そこから整骨院をオープンするまでのプロセスをお伺いしてもよろしいですか?

はい 在学中に並行して将来の為にとある整骨院で施術補助の仕事をしていたのですが、その整骨院のオーナーが私の師匠でして、当時師匠が私に「センスがあると思うから、将来開業したら?」と言ってくださったんです。

 

もちろん私も整骨院業界に足を踏み入れるときに、いつかは独立したい!と思っていたわけなのですが、そう言って頂けたのは本当に自信になりましたし、嬉しかったですね。

 

勉強もしながら働いてとなるとそうとう忙しかったのではないですか?

そうですね あまり思い出したくないくらい忙しかったですね。(笑)

 

日中は学校で勉強して終わったら、仕事に行き、業務後に施術の練習や起業のための勉強を深夜までするという流れでしたね。

本当に身を粉にして働いたという感じです。

 

その成果もあり、国家資格も無事に取得できしばらく師匠の整骨院で修業した後に独立させて頂きました。

 

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